暑い夏の日の夢
2008-08-19
<暑い夏の日の夢>
【 ゲームセット 】
「ストライク、バッターアウト・・ゲームセット」
あの暑い夏の終わった日から、もう何年経つのだろう。
あれ以来ずっと後悔している見逃し三振。ストライクなのに、ど真ん中の絶好球なのにスウィングできない自分。追い詰められ体が動かない、汗びっしょりで目が覚める。思えば物心ついてから数十年、多くのチャンスを見逃したり見送ったりしてきた。空振りもできない今の私はあれから始まったのかもしれない。
2年生に定位置を取られかけても、悔しいくせにいい先輩を演じ続ける自分。「ええやんか、俺の分までがんばれ」なんてことを言ってしまう嘘つきの私。最後の夏、緒戦を勝ち上がったその日、もともと強くなかった肩が壊れた。待ってましたとばかり、次戦のスターティングメンバーから名前が消えた。
サードコーチスボックスから、いかにもという感じで声援を送る。最終回に勝ち越されその裏のツーアウトランナー無しの場面で監督と目が合った。おいおい冗談じゃないぜ、こんな絵に描いたような補欠への温情なんて。「ピンチヒッター」という声に、おれの3年間、こんなもんやったんかと思いつつバッターボックスに向かう。
一球、二球、ど真ん中のストライクを見逃し。三球目真ん中低めワンバウンド。「ボールや!」でも何故か「ストライク、バッター・・」「なんでやーっ・・」汗びっしょりで目が覚める。
振ろうとして振れない自分が、はがゆくて、情けなくてたまらなかったあの夏の日。思い出すたびに悔しいあの暑い夏の日の夢。
【 ひとぼし 】
8歳の私、父が亡くなってほぼ一年が経過していた。盆の14日、「ひとぼし」が家を出た。母は手伝いに来てくれた親類や集落の人に愛想をふりまきながら、てきぱきと立ち回っている。父が死んで以来ヒステリックでいつも暗い顔をしている彼女はそこにはいない。そんな母を不思議な気持ちで眺めながら、自分も何本かの松明を持って家を出た。ろうそくに濡らした和紙を巻き半間ほどの竹の先につけた松明「ひとぼし」を間隔で差していく。100本目がちょうどお墓に到着するよう古老が指示し、最後の8本はお墓で灯される。墓の手前の高台から家を見ると、まるで父の魂のかけらが燈ったように灯の道が続いていた。ゆらゆらとゆらめきながら、家のほうから一つ二つと消えていく灯火。私と弟に託そうとしていた父の夢・・未練を残しながら旅立っていくその想いが消えていくように・・。
【 朝 食 】
「おかちゃんがおらん」夢の中の自分に弟が呼びかける。目を開けると涙をいっぱい溜めた弟が立っていた。さして広くは無い家、母がいないのはすぐにわかった。「だいじょうぶや、往診に行っただけやさか」となだめながら「捨てられた・・」そんな不安が頭をよぎる。5歳になって少し重くなってきた弟をおぶい、家の周りを歩き回る。眠った弟を寝床に移し、言いようの無い不安と戦っているうちに自分も眠ってしまった。
外の鳥の声に目を覚まし、母の寝床を見るとやはりいない。これはほんとうに捨てられたのか。この一年漠然と持っていた不安が現実のものになる。弟を起こさないように起きだし、意味も無く夏休みの友を引っ張り出し、不安をかき消すように必死になって鉛筆を走らせた。
しばらくして不意に朝食の準備を始めた。お腹がすいていたこともあったが、おりこうにすれば母が帰ってくる、そんな気持ちがそうさせたのかもしれない。日が昇りだし、外の世界がにぎやかになりだした頃、「ただいま」という声とともに、疲れた表情の白衣を着た母が玄関先に現れた。涙があふれ出た。「え、朝ごはん作ってくれたん」という母の久しぶりに見た笑顔。以来、朝ごはんは主に私が作ることとなった。母にいてもらうためには朝ごはんを作らなければならない、といった使命感にも似たものがそこにあった。
「ごはんできたよ」と言って寝室を開けると、やはり母はそこにいない。あわてて外を探しまわる。これは夢と気がついているのに目を覚ませない。この年になっても忘れることのできない、夢の中にも出てきたつらかった頃のお話。
【 壁 】
はしかに罹り40度近い熱を出し、一人で水枕を交換しながら母の帰りを待った日。看護婦の彼女は、症状を診て大丈夫と思ったのか、私一人を残し仕事に出て行った。母が出かけるころは、それでもけっこう元気で、作ってくれたおかゆを食べ、お菓子を食べ、本を読み、それは悠々とした休日を送っていた。それがお昼過ぎから急に熱が出始め、体中が沸騰するような時間をすごした後、急に襲ってきた寒気と戦った。朦朧とした意識の中で見た夢は、壁を登って、あと少しというところでその壁が崩れ落ちてゆく夢。何度も何度も登っては落ち、落ちては登り・・どうしても最後まで登りきることができない。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、男の子やろ」という声が遠くで聞こえ、気がつくと枕もとに母がいた。以来、熱を出すたびに同じ夢を見た。それがどうしようもなく怖かった。そういえばこの夢、いつも最後まで登りきることのでき無い私の人生そのもの・・?
【 河 童 】
いつになく台風が多く、あまり暑さを感じなかったあの夏。夏休みも終わりになってやっと夏の暑さが戻ってきた頃、5年生の私は上級生になるための試練に直面していた。
2日前の台風で増水した川は雨量が多かったせいもあって、ふだんの3倍ほどの水量になっていた。上級生や同級生は、そんな水量はものともせず川の中に入っていき、急流に乗って川流れを楽しんでいる。「おーい、早よ来んか」友達の声が聞こえる。ここで行かなかったら、きっと仲間はずれにされる。いじめられっ子の私にそんな不安が高まったが、やはり入っていくことができない。そのとき「こら、もう遊んだらんぞ」という上級生の声、不意をつかれたように飛び込んでしまった。思った以上に強い流れ、水の重さが違う。こりゃあまずいと思いつつ、なんとか数百メートルを下り終えた。「な、やったらできるやろ」という先輩の声がとても誇らしく聞こえ、なんか自分が一回り大きくなったような気がした。これが上級生への通過点だった。
その週、また大雨が降り川はそれ以上に増水した。同級生たちは、その水量に少し臆したか川に入ろうとしていない。ここで違うところを見せればと、上級生たちと一緒に川に入り何度か流れに乗って遊んだ。「コツをつかんだ、これであいつらよりは上や」と悦にいった。調子に乗って飛び込むうち、流れの芯に入ってしまった。気がついたときはすでに遅く、水中深く引き込まれていく自分。早く浮かねばという思いに反して、深みに引き込まれていき、何度か水を飲んでいるうちに気が遠くなってきた。「あ、死ぬんかな」と、何故か冷静な自分。上がらなければという気力がなえてきて、意識が遠ざかろうとしてきたとき、誰かが私を抱えて引きずりあげてくれた。薄れた意識の中で、大人のような影がかすかに見えたような気がして、気がつくと川原でゲエゲエと水を吐いていた。上級生、同級生、いっしょにいただれも私を助けた覚えが無かった。でも、沈んでゆく私をだれかが助けてくれたのは確かだ。何故って・・私は今生きている。台風が去った後の、夢だったかもしれない夢のような出来事。
【 自 由 】
中学校最後の夏が終わり、当時同級生の半数しか進学しなかった時代、進学するか就職するかで悩む同級生を横目に、私は他の同級生とは違った戦いをしていた。母は地元で学業優遇制度がある高専への進学を希望していたが、自分は家を離れることを希望した。家から100kmほど離れた進学校への受験希望は、母だけでなく担任教師からも「母子家庭のくせに贅沢だ」との理由から反対されていた。「良い高校に行って、偉い人になりたい」と言って周囲を納得させたが、本当は、過度の期待をかける母からの脱出、それとついてまわる家事からの逃避が理由であった。半年以上に渡る母、親族、教師との攻防と、少しの入試勉強でつかんだ自由。15歳になっていた。
下宿先に荷物を降ろし、1時間ほど滞在しただけで「しっかり勉強するんやで」と言い残してかえっていった母。「これで自由になる」、洗濯も掃除もすべて経験済み。食事は下宿が用意してくれる。何にもまして母からの「勉強せんか」という声が聞こえてこない。こんな自由は今まで無かったことだった。その自由が私を支配した。部活、悪友たち、バイク・・とても勉強する暇など無かった日々。
受験勉強が追い込みにかかる頃、「いちご白書」という映画を見に出かけた。もちろん平日昼間。となりの席の叔母さんがハンカチで涙を拭く。もらい泣きをする。とても感動的な映画だった。館を出ると、その叔母さんが声をかけてくる。「あんたM高校の生徒やね。今日は休み」「違う」「そうなん、さぼったん」「・・・・」「私補導員なんさ、そこの交番まで来てくれる」「・・・・・・・」。3日間の校内謹慎だった。
反省文も、数を数えるたびに涙なくしては読めないほどの出来栄えになっていた。
授業日数が足りず、卒業できない夢を良く見る。もしかして校内謹慎でなかったら、卒業できていたのだろうか。
【 故 郷 】
やっともぐりこんだ某私学。今度こそ心を入れ替えて勉強しよう。その決心は長く続かなかった。
2回生の春から学園紛争が激化し、度々校舎はロックアウトされた。当然することの無い私は麻雀、パチンコへと走る。仕送りはすぐに底をつき、生活費稼ぎにバイトへ。ガードマン、運転手等々での稼ぎ。ギャンブルはそこそこにしていたが今度は・・。稼いでは使い、使っては稼ぎ。下宿では2日に一度くらいしか寝ない日々。
好きな女がいて、心を許せる友達がいて、そして親の呪縛の無い自由。楽しい日々のはずだったが、なんとも言えない寂しさがいつもつきまとった。帰りたくも無かったはずの故郷へ、夏、冬、春、休みがある度に帰った。休みの期間目いっぱい故郷にいた。夢にも出てこない故郷だったのに。
卒業の年からある夢に悩まされた。残暑の残る頃、空気がよどんだ自室にもどり「ああ、またこの部屋で正月まで・・」とつぶやく自分。そう、故郷から下宿に帰ったばかりのシーンを毎日のように夢に見るのだ。その部屋は高校時代の部屋であったり、そのとき住んでいた部屋であったりした。何故か故郷を恋しがっている自分の心。自分は帰りたいと思っていないはずなのに・・何故。
就職が間近に迫った3月、すべて捨てて故郷の家で荷物を解いている私がいた。
故郷に帰ることが、生まれたときから決まっていたことを暗示していたようなあの夢。
今もあの夢は、時を経て、学ばなかった後悔とともに迷いの夢として現れる。
【 金縛り 】
今母が一人で住んでいる家は、父が次兄から譲り受けたもので、たぶん7、80年経っているらしい。もともとは小さな家であったが、父、母が増改築を繰り返し今の大きさになった。その家で私は育った。
その家での話。お盆の前後、泳ぎ着かれて眠っていると必ずといっていいほど金縛りにあった。縁側で誰かが私を見ている。そっちを向きたいのだが向けない。あ、そばに来て覗き込んでいる。子供、大人・・わからない。冷や汗が出る。手も足も動かない。意識だけがはっきりしていて、でも誰かいる方向は見ることができない。ある瞬間、ハッとわれに返る。起き上がって縁側のガラス戸閉め寝転がる。振り向くと閉めたはずの戸が開いている。怖い、怖い、怖い・・目が開けられなくなる。誰かがいる。勇気を振り絞って目を開けると、縁側の向こうに日が暮れかけた田んぼが広がっていた。
座敷わらし、いや幽霊・・もしかすると、亡くなった父が自分の様子を見に来ていたのか。なにせ33歳で逝った父、私たち兄弟に対する想いはけっこうあっただろうから。
子供のころ、何故か夏の日にしか見ることが無かった夢。今はまったくと言って良いほど見なくなってしまった。父が安心したのか、いや、愛想を尽かしたか。
父と言えば、父の運転するバイクに乗って走る夢も良く見た。タンクに敷いたざぶとんの上にまたがる私。振り向いて顔を見ようとするがどうしても見られない。無理に振り返ると目が覚める。やはり父は私に顔を見られたくなかったのかもしれない。
【 今年の夏 】
高校野球が2回戦を終えようとする8月7日、初盆の家々には石塔灯篭が祀られ新仏を迎える。縁先には餓鬼を供養する松露様が祀られる。この集落の人々はこの日から13日までに、初盆の家に水向けというお参りを行う。そして14日には108本の松明「ひとぼし」を家からお墓まで燈していく行事が行われ、15日には施餓鬼供養、16日には灯篭焼きと続く。暑い夏の盛りもこの頃を境に涼しくなっていき、アキアカネが里に下り、一気に色づいてきた稲穂の間を飛び交う。
父の幼馴染のおばちゃんが亡くなった今夏。父の墓前で「息子のことは心配するな」と泣き崩れていたおばちゃんだった。自分は心配のない息子になれたのか、まったく自信がない。おばちゃんはなんて父に報告しているのだろうか。いささか心配ではある。
この暑かった夏ももうそろそろ終わり。
酒食らって爆睡するこのごろ、夢も見やしない。お盆くらいは、父の夢を見てみたいものだ。そのときは今度こそ父の顔をみてやろう。まだ、あの33歳の若さのままだろうか。そうだろうね、歳をとった父なんて想像もできないし、想像したくも無い。
父や河童には久しぶりにあの夢で会いたいね。
でも、空振りさえもできない夢や、母に置き去りにされる夢ならごめんだね。