Archive for the tag '新宮市'

やはり・・

 近頃の送受信の悪化はモデムに原因があったらしく、近日中に交換とあいなりました。ということで、昨日は書込みもできずストレスが溜まって・・・。ところで昨日はどんな日だったんだろう・・? :roll:  思い出せない・・・・・・仕事してたのは確かなのですが・・・・ :lol:
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ど根性イチゴ

<ど根性イチゴ>
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 イチゴのプランターに鳥よけを設置してて気がついたのがこれ :shock: ちゃんと実をつけてます。でも、そのうちヒヨドリのえさになってしまうのでしょうね。
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仕事

 10時頃・・だったかな・・出勤して仕事。昨日出張だったし、あまりおちついて仕事する暇もなかったし・・。お昼過ぎまで3時間近くいろいろやってきましたが、電話がかかってこない、人がいないこともあってはかどること・・今度から休みの日に仕事しようかな・・ :mrgreen:
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病院

 午前中親類のお見舞いに新宮の医療センターへ行ってきました。以前叔父が入院していたところで、勝手知ったる所?なのですが、この病院はいつ来てもきれいです。親類の兄貴はいたって元気でしたので一安心。その上3週間に及ぶ入院生活で、体重は5kg落ち血糖値、尿酸値、そして肝機能の数値が平常値にもどったとか。「お前もなんか病気作って入院したら健康になるぞ」・・あながち、入院して自由が利かないことの負け惜しみともいえない言葉でした。
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災害

 朝一に磯崎港へ様子を確認に出かけ、一度出直して甫母町から港ごとに立ち寄りながら災害調査。甫母の師匠は漁のため不在。帰り際に沖から帰ってくるS丸を確認しましたが、時間が無かったのでお会いできずに帰ってきました。遊木の兄貴は出張中で不在。皆さん忙しそうです。
 午後宿題の仕事に手をつけていたら、商店街の打ち合わせの時間に。打ち合わせの後急用ができて新宮の医療センターへ。帰ったのは18時過ぎ。職場へ立ち寄り帰宅したのが19時前。なんだかんだと慌しい一日でした。

休日の寝起き

 何故か、休日になると朝早く目が覚めます。今朝も起きたのが6時前・・新聞読んでお茶沸かして・・ついでに花に水と液肥を・・8時半頃朝食。9時に農協とホームセンターへ足りなかった資材を買いに行ったのですが、ある資材の農協価格とホームセンターの価格の差に唖然・・結局ホームセンターで買って帰りました。
 それから大又川の河川敷に竹を刈りに。そう新姫の支柱にするものなのですが、20本余り刈るのにけっこう時間を費やしてしまい、気がついたらもうお昼。楽しいことをしている時間って経つのが早いですね。
 お昼は定番となってしまった中華蕎麦。今日はプランターで栽培しているニラとジャコ、油揚げを炒めたものと、茹でキャベツ、それにメンマが具。塩仕立てで作りました。
 午後、先日できていなかった新姫の根元の防草シート張りと、支柱(添え木)立てを15時頃までやったのですが、結局10本ほど残してしまいました。明日は仕事だし、また来週の仕事後にやっつけようと思います。
 それから大急ぎで新宮へ親子三人で出かけ、長男の車のオイル交換やら買い物やら・・。家に帰り着いたのが19時・・腹へった・・。
 明日は、御前中は直売所。午後は大阪からのお客様をご案内。休みになりませんでした。

東京タワー

 御前10時頃から、知人宅の裏の畑で新姫の定植作業に従事?しました。10本を3人で定植したのですがたっぷり2時間・・良い・・いや苦しい汗を流しました。
 で、午後はカミサンと「東京タワー」を観に出かけました。新宮まで1時間もあれば大丈夫とたかをくくっていたら、砂利トラ、長距離大型バスとけっこう安全運転の車に引っ張られ、それがいなくなったら、40km/hで走行する軽自動車に新宮まで先導され、着いたのが開演前1分前・・滑り込みで間に合いました。

 映画の内容は皆さんご存知でしょうが、高校から母の下を離れ自立を目指しながら、母の愛に甘えて自立できない主人公が、とても自分の人生とオーバーラップして胸が痛みました。
 もちろん、私はオダギリ・ジョーのように格好よくはないのですが、なんか高校時代、大学時代、母からの「がんばって勉強するんやで」という便りを見ながら、全くそれに応えることがなかった自分がそのままスクリーンの中にいて、あらためて恥ずかしくなりました。
 大学を出て、都会にも居着くことが出来ず舞い戻った田舎でも、母の庇護を良いことに好き放題・・主人公のような母への親孝行も、その真似事もしたことがありません。それどころか、けっこう冷たく当たったりしています。いやー・・辛いですね。
 うちの母も、人が好きで、人と賑わうことが大好きです。いつも彼女の周りには人が集まってきます。そんな母がなんか鬱陶しかったのですが、その母の人脈のおかげでいつも助けられてきた私・・。辛いことや、悲しいことは一晩寝たら忘れるくらい切り替えの早い母ですが、私たちには言えないことがいっぱいあったと思います。いつか、弟と三人でゆっくり昔のことを話したいですね。
 ちなみに、私も弟も、母のことを「おかん」と言います。

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